罵倒はおろか、真っ当な批評でも傷つく創作家は昔から存在する。そういう人が、悪評が元で創作を断念することも一定の割合で起きている。それはある程度仕方ないが、放置してよいものでもない。旧来のメディアでは、編集者なりマネージャーなりが防波堤になっていた。
江戸川乱歩の場合、編集者の役割は防波 堤などというレベルではなく、編集者がおだてて褒めちぎらないと筆が進まない人だったようだ。初期の代表作「パノラマ島奇譚」は雑誌「新青年」に連載した が、途中で一時休載している。担当編集者は何と横溝正史で「おだてが足りなかった」と述懐しているそうだ。
乱歩は自己評価の低い人だった。本格推 理ものに強い愛着があって、初期のうちは創作意欲も高かったが、最終的に本格作品はあまり残さず、怪奇・猟奇系か活劇系の作品が多い。結局それは、後者の 方が世評が高かったためで、乱歩は自分の本格ものにかなり早いうちから自信を失っていたらしい。
純本格ものの佳作「何者」(デビューか ら6年目)は、彼としては相当の自信作だったようだが、世間的には全く反応がなかった。ただ一人、全く無名の若手作家が「乱歩先生の最高傑作です」と語っ たことがあり、20年以上たった後でも、このエピソードをうれしそうに何度も書いている。
もし乱歩が、例えば今のネット社会のよ うに、罵倒がすぐ届いてしまう環境にいたとしたら、作家を続けてはいられなかっただろう。そうなれば怪人二十面相(少年探偵)シリーズは生まれず、明智小 五郎も名探偵の代名詞にはならなかった。大衆文化の歴史は、ほぼ間違いなく今と違っていたはずだ。
乱歩の影響はきわめて広く深い。「黒蜥 蜴」を愛読した三島由紀夫は、後に戯曲化して、その舞台からは美輪明宏が躍り出た。映画など何本作られたかわからない。最近、丸尾末広が「パノラマ島奇 譚」を描いたように漫画も多数。影響を受けた作家は、筒井康隆や宮部みゆきをはじめ何人いるのやら。
創作者だけではない。累計1300万部 売れた少年探偵シリーズがなければ、ポプラ社の企業基盤自体が違っていただろうから、「ズッコケ」や「ゾロリ」シリーズが生まれたかどうかもわからない。 このように、乱歩が初期で文壇から去っていたら、日本の文化、芸能、出版の風景自体が変わっていただろう。
自然科学と芸術分野はこの点が違う。例 えばニュートンがいなくても力学の体系化は誰かがやったはずだが(数十年あるいは百年以上の遅れはあったろう)、ベートーヴェンがいなければ西洋音楽は今 と全く違うものになったのは間違いない。芸術分野では、人が欠ければその後の展開そのものが変わり得る。
クリエーターの中に乱歩のような弱さや 繊細さを抱えた人がいるのは当然で、いいとか悪いとかの問題ではない。そういう人たちを有害な批評や罵倒から遮断し、ほめておだてて舞い上がらせて作品を 書かせるのは全く正しい。それを実行した乱歩の担当編集者たちには、ただGJというばかり。